アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史 その30 信仰復興運動(リバイバル)

Last Updated on 2025年2月5日 by 成田滋

 「信仰復興運動」とか「大覚醒運動」(Great Awakening)として総称される一連の宗教的リバイバル(revival)は、1730年代と40年代に植民地を席巻します。その衝撃は、1720年代にオランダ改革派教会の牧師であるセオドア・フレリングハイゼン(Theodore Frelinghuysen)が説教を始めた中部の植民地で最初に起こります。

 1730年代初頭のニューイングランドでは、おそらく18世紀で最も学識のある神学者のジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards)らが、宗教的な熱狂という大衆伝道にかかわっていました。1740年代後半までに、大衆伝道は南部植民地にまで拡大し、サミュエル・デイヴィス(Samuel Davies)やジョージ・ホワイトフィールド(George Whitefield)などの巡回説教者が、特に地方の田舎で大きな影響力を及ぼしました。

Great Awakening

 信仰復興運動は、社会の世俗化の進展や、アメリカ社会の主要な教会の商業主義、唯物論的性質に対する反発を示しています。改心を救いの道の第一歩とし、自分の罪深さを認めたすべての人に改宗の経験を味わわせようとするのです。こうした大覚醒運動の指導者は、意図的に、あるいは無意識のうちに、カルヴァン主義(Calvinism)の神学を大衆的なものとしていきました。カルヴァン主義とは、すべての上にある神の主権を強調する神学体系、およびクリスチャン生活の実践の教えのことです。

 信仰復興運動における説教者の多くの狙いは、人間の罪深い生活の結果への恐れと神の全能性への敬意を聴衆に鼓舞することでした。神の凶暴さという感覚によって、世俗性の拒絶と信仰への復帰が恵みをもたらし、怒る神からの恐ろしい罰から逃れることができる、という目に見えない約束によって人々は慰められることを強調したことです。

信仰復興運動

 しかし、信仰復興運動がうたう神学の考え方には、ある矛盾した性質がありました。信仰復興運動のほとんどの指導者はカルヴァン主義神学の主要な信条の一つである予定説(Predestination)を強調していたことです。この予定説は、人間が自発的な信仰の行為によって自身の努力によって救いを達成することができるという教義とは決定的に対立するものでした。

 さらに、完全な信仰への復帰と神の全能性を強調することは、啓蒙思想(Enlightenment thought)とは対立する考え方でした。啓蒙思想は、信仰についての大きな疑問を呈するとともに、人間の日常の営為における神の役割は少ないということを主張するものでした。他方、アメリカの信仰復興運動の主要人物の一人であるエドワーズ(Jonathan Edwards)は宗教を合理的に理解しようとして、ジョン・ロック(John Locke)やアイザック・ニュートン(Isaac Newton)などの考えを明確に援用しました。

 ここで重要なのは、信仰復興運動によって促進された福音主義の宗教的礼拝のスタイルが、疑問視された教会の宗派の多く、特にバプテスト派とメソジスト派の宗教的教義をアメリカ国民へより理解しやすくするのに役立ったことです。教会の会員数の拡大は、黒人だけでなくヨーロッパ系の人々にも拡大し、福音派プロテスタントの典礼形式は、アフリカやアメリカで行われるの宗教的礼拝の合同(syncretism)を促進することになりました。

 現代アメリカの最も著名なキリスト教の福音伝道師にビリー・グラハム(Billy Graham)がいます。アメリカの伝道師と呼ばれ、20世紀中ごろのリバイバル運動の主力となった一人です。日本では東京福音クルセードなどを主宰した本田弘慈牧師が有名です。クルセード(crusade)とは十字軍を意味する言葉ですが、アメリカの福音主義者の間で大衆伝道の意味で用いられた信仰復興運動のことです。

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